俳優・森田剛が28日、愛知・穂の国とよはし芸術劇場 PLAT 主ホールで主演舞台『ロスメルスホルム』(演出:栗山民也)初日を開幕した。
本作はノルウエーの劇作家ヘンリック・イプセンが1886年に上梓した作品が原作。古く凝り固まった時代から新しく解放されつつある時代の中、保守的な思想と進歩的な思想の人々との対立を、緊張感のある心理描写で描いた人間ドラマとなる。森田はロスメルスホルムと呼ばれる屋敷の主で、妻を失うもレベッカ(三浦透子)の支えで立ち直り、新たな時代に向けて前向きに生きようとするヨハネス・ロスメル役を演じる。
以下、公式レポート部分。
■初日終演後コメント
●栗山民也(演出)
穏やかで、なんとも心地よい豊橋の芸術劇場で初日を迎えました。客席のやわらかだった空気も、物語が進むにつれ何か熱い一つの塊になっていくようでした。いろんなものがギュッと詰まった19世紀末の物語です。いろんな人がいて、いろんな風景が広がり、いろんな感情が物語を右左へと強く揺さぶるように動かしていきます。
劇中にある「世界中が見つめている。耳を澄ましている」など自由社会への渇望を求めるセリフが、登場人物たちの熱い行動とともに、今のこの不穏で愚劣な世界に強く響くのです。この一つの劇で、何が可能か。みんなの心に深く刻まれますように。
●森田剛
稽古が始まってからあっという間であり、やっと初日というような感じでもあります。
お客さまに届いているという実感があり、他の出演者の方たちの熱もあがっていくのを感じ、自分としても心が動く瞬間がみつけられたので、毎回その瞬間を汲み取っていきたいです。これから福岡、兵庫と重ねて東京で演じる時はまたどんどん変わっていくと思います。見れば見るほど発見がある作品なので、できれば何回も見てほしい。自分としても、もっともっとやっていたいと思えるお芝居です。
●三浦透子
無事に(初日が)終わってまずは一安心しました。
半年ぶりに人前でお芝居をしたのですが、いい作品でリスタートさせていただけたこと、感謝しています。学ぶことが多すぎる作品で、学びたいと思えることがまだまだある。あらためて自分はお芝居が好きなんだと実感しました。
私たちもエネルギーをつかいますが、お客様もエネルギーをつかいますよね。皆様が集中して見てくださっているというのが舞台上にも伝わってきました。はじまったばかりなのでここからまた気を引き締めて演じていきたいです。
■レポート
興奮と切なさが入り混じる、イプセンの不条理の旅
イプセンの戯曲『ロスメルスホルム』に立ち込める不穏な求心力、その源はタイトルが意味する“ロスメルの館”にほかならない。1880年代のノルウェー南部、200年の伝統と格式に縛られた大邸宅に暮らすのは、当主のヨハネス・ロスメル(森田剛)と家政婦のヘルセット(梅沢昌代)、そして下宿人のレベッカ(三浦透子)だ。牧師であったが信仰を捨て、古い体質から脱しようとしているロスメルに、“進歩主義の同志”として寄り添うレベッカ。だが館を訪れる人々によって、二人の同志の繋がりは揺らぎ始める。舞台となる居間、下手の壁には歴代当主のいくつもの肖像画が飾られ、上手に設けられているのは大窓だ。窓からは水車小屋へと渡る橋が見える設定で、かつてロスメルの妻ベアーテはその橋から身を投げたのだった。演出の栗山民也は、ロスメル家に伸し掛かる 200 年の重圧、死を連想させるひんやりとした水の気配を劇空間にふんだんに漂わせて、複雑に、曖昧に絡み合う人々の心理、言葉の裏に隠された真意を探る、“人間の不条理”に惑う深淵なドラマを打ち立てた。
レベッカに影響されて自由思想を掲げるもつねに諦観を纏っている、そんな捉えどころのない“生まれてから一度も笑ったことのない男”ロスメルを、森田が穏やかな物腰にかすかな絶望の匂いを潜ませて体現。どこか魂が浮遊しているような風体が非常に魅力的でありながら、同時にじりじりとした焦燥も誘い出す。ロスメル家の権力を頼り、宗教を政治に利用しようとロスメルを訪ねるのは、亡き妻の兄で保守派のクロル教授(浅野雅博)、そして急進派の新聞編集者モルテンスゴール(谷田歩)だ。ロスメルの家庭教師だったアナーキスト、作家のブレンデル(櫻井章喜)の無礼な訪問も、名家の枷から逃れようとするロスメルの意志に揺さぶりをかける。浅野、谷田、櫻井それぞれの濃くも細やかな人物描写が、ロスメルやレベッカの精神を波立たせていく。そうした政治闘争の話に被せて静かに浮上して来るのは、妻ベアーテの死の真相である。もとはベアーテの話し相手としてロスメル家に来たレベッカが、ロスメルへの思いを語り出し、ロスメルもレベッカの存在について自身に問い質し、罪悪感に苛まれる。時代の世相から男女の問題へと急激に焦点を絞ったイプセンの眼差しに、戸惑いつつも引き込まれずにはいられない。
政治に関心を持つレベッカがこの時代には奇異な女性であることは、訪問者たちの彼女に対する侮蔑的な発言から見てとれる。全身から孤高の美を放つ三浦の立ち居振る舞い、透徹した瞳の強さ、意志のこもる声に終始、惹きつけられた。冷静なようで不意に過言を吐いたり、いきなり取り乱すなど、レベッカも制御の効かない人間の業を突きつけて来るキャラクターだ。息苦しさと悲壮感に満ちた対話の果ての、ロスメルとレベッカの選択。その衝撃の幕切れを思い起こせば、胸騒ぎと充実の痺れが蘇る。
ロスメルが大事なことを口にしようとする、そうした重要な局面に差し掛かるタイミングで度々ヘルセットが現れて、流れを断ち切る展開が面白い。梅沢の醸す不気味でシニカルな存在感が、サスペンスの味わいを生み出していた。大きな窓から差し込まれる光の変化、水を含んだ風を感じるカーテンの揺れなど、いたるところに彼らの心情のヒントが隠されているようで、明解な答えなどありようがない。そのもどかしさがたまらなく、劇の一瞬一瞬をもう一度巻き戻して、確かめたくなるのである。イプセンの不条理を探る旅、緻密な演出と真摯な表現による劇世界がもたらすのは、興奮と切ない痛みが入り混じる演劇体験だ。
以上
舞台『ロスメルスホルム』福岡公演は2023年11月3日から5日までキャナルシティ劇場、兵庫公演は2023年11月10日から12日まで兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホールにて、東京公演は2023年11月15日から26日まで新国立劇場 小劇場にて上演予定!
※記事内公式レポート部分の
取材・文:上野紀子
撮影:田中亜紀