劇場アニメーション『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(監督:山賀博之/配給:バンダイナムコフィルムワークス)4Kリマスター版初日舞台あいさつが28日、東京・新宿バルト9のシアター9で開かれシロツグ・ラーダット役の森本レオ、山賀監督、渡辺繁プロデューサーが登壇し、司会はアニメライターの小林治氏が務めた。
山賀監督はじめ、庵野秀明氏や貞本義行氏、樋口真嗣氏ら、後に多くの名作、話題作を世に送り出すトップクリエイターが集結した制作集団『GAINAX』と、バンダイがタッグを組んで制作。1987年3月14日に劇場公開された本作が35周年を記念し4Kリマスター版として劇場公開となる。
訓練もサボり放題で怠惰な生活をしていた“戦わない軍隊”と揶揄されていた『王立宇宙軍』の兵士・シロツグ。街で神の教えを説く少女・リイクニに出会ったことで、宇宙飛行士を志願することに。『王立宇宙軍』の威信をかけた宇宙飛行計画のど真ん中に立たされたシロツグの運命が描かれる。
山賀監督は満員の劇場を見回し、「封切りあいさつに呼ばれたことないので、初めてです。いやー気持ちいいものですね」と、感無量といた様子で、森本も「なんかさー、20、30人くらいの吉祥寺とかでやるものだと思ってた。すごいなー」と、びっくりといった様子。さらに、森本は「声優をやらせて頂いたときに、自分でも何をやっているかわからなかったんです。それを時々すれ違う人やNHKのディレクターが『あれは凄い!』と。僕はそんな気がしてなくて『ふーん』て言って怒られたことがあるんです。まだ、こんなにいっぱいの人が来て頂けると思いもしなくて」と、1987年の公開後のエピソードを交えて心境を語った。
公開当時、森本は「仲間内でも『ディズニー超えとるぞ!』というので騒いでましたけどね、映像がめっちゃキレイだし。僕らの高円寺の仲間はワイワイ行ってましたよ。普段難しいのばっかり観ている連中が、『ディズニーを軽く超えてる』『セットや風景がすごくて、リアルを超えとる』と言っていってて」と、大好評だったとも。
話題がアフレコの方向へ。森本が「あのとき言われちゃったんですよ。うまくやんないでくれと」と、ぶっちゃけると、山賀監督は苦笑いしながら、「それは語弊があるんです!声優さんはベテランの方々ばかりでそれは上手で、どんな状況でも場をうまくまとめてしまわれるんですが、その世界じゃやだなというのがスタートのところにあって。声優の作っていく世界じゃな世界でやれないかと思って」という思いがあり、そのときに森本はどうかと口走ったことが起用のきかっけになったとも。
“うまくやんないでくれ”の部分へ森本は「当時のあのころ声優に目覚めだしてて、『三国志』とか、いっぱいの役をやったんですよ。200、300人のキャラクターを声優10人くらいでやってて。声優っぽくやるのが楽しくなってきた頃に、声優っぽくやるなと言われて。周りの方と比べて見たら自分だけ下手に聴こえるんですよ」と、ため息。ついには「正直に言っちゃいますと、昼休みにお茶を飲んでいて、スタッフの方たちが話していて『素人が混ざってる』って言われて」と、散々だったエピソードまで飛び出すことに。
山賀監督のオーダーに応えきった結果そうなったということもあり、山賀監督も「申し訳ないなと思ったんですが、狙いだったんですよ」と、釈明していた。
ちなみに、作品を観てみて森本は「もうちょい声優っぽくやっても良かったなって。自分でも右往左往している感じなんです。ずっと大河に流されてたどりつくのかよー!という気持ちでやってました」と、もがいた記憶も蘇ったそう。それでも、やっているうちに「嫌だなーと思いながらやっているのに、どんどん興奮していくんです。もっと行きたいみたいな気分にどんどんなっていって」と、不思議な魅力を感じていたとも告白していた。
そして森本は最後に、「僕は戦争が終わった後、3歳だったんです。倉庫の炭俵の上で、屑屋さんにもらった本を読んでいたんです。そうしたら母がある日、『そんな字ばっかり読んどったらあかんよ。字ばっかり読んでたら頭固なるで。字を読んだぶん、漫画読んだり、映画観たりしなさい』と言ってくれて。それから毎年、映画を観に行って、ジョン・ウエインとか、ヨーロッパ映画を観て、歌舞伎を観て、それで気がちっちゃかったのに、気がつけばこんな素敵な場所に立たせて頂いて。みなさんの前で、バカなことも言えるようになりました。ありがとうございました。この映画は、遠い日の母が僕に贈ってくれた宝物だと思います。観てあげてください。ありがとうございました」と、スピーチしていた。
『王立宇宙軍 オネアミスの翼』は劇場公開中!