2021年3月11日。東日本大震災から10年が経過した。新聞・テレビは、さまざまな特集を組み、「あれから10年」と題し、あの日を振り返り、(後世に伝えるために)検証し、被災地の現在や復興の様子を紹介した。
一方で、いまだに2500人以上の人が行方不明のままであり、大勢の人が故郷に戻れず、避難生活を続けているなど、復興は道半ば。
さまざまな整備が進み、順調に復興する姿を示せば示すほど、生々しい爪痕が消えていき、人々の記憶が薄れて「風化」という問題が現れるのも事実。
「語り部」となり、震災の現実を後世に伝えていく被災者たちがいる一方で、岩手日報では、震災から6年が経った2017年からは⾵化を防ぐキャンペーンを実施。TVCM・新聞広告を毎年3⽉11⽇に出稿し、3年にわたり「⼤切な⼈を想う⽇」の制定への署名を募った。
その結果、2021年2⽉17⽇、震災から10年となる3⽉11⽇を前に、23,669名の署名が集まり新聞広告の⼒で3⽉11⽇を「東⽇本⼤震災津波を語り継ぐ⽇」にする条例が成⽴した。
「⼤切な⼈を想う⽇」制定までの経緯
震災から6年が経った2017年、岩⼿県では早くも震災の⾵化がはじまっていたという。特に、被害が少なかった内陸部と被災した沿岸部との温度差があり「まだ震災のことを⾔ってるの?」という雰囲気が蔓延しはじめていた。
しかし、その時点で岩⼿県の⾏⽅不明者はまだ2000⼈以上。たとえ東⽇本で⾵化が進んでも、岩⼿が岩⼿を⾒捨てることはあってはならないと考えた岩⼿⽇報は、震災の教訓や悲劇を忘れないでほしいという思いから、新聞広告の⼒で⼈々に思い出してもらうきっかけをつくることはできないかと考えた。
そして、3⽉11⽇を「⼤切な⼈を想う岩⼿県⺠の⽇」に制定することを提唱。震災後から毎年広告を出稿していたが、2017年からは「⾵化を防ぐキャンペーン」として、「最後だとわかっていたなら」というTVCM・新聞広告を毎年3⽉11⽇に出稿し、3年にわたり「⼤切な⼈を想う⽇」の制定への署名を募ってきた。
その結果、「最後だとわかっていたなら」の広告はTwitterトレンドで7位に浮上し、リツイート数は10万にも及んだ。テレビCMは数々の賞を受賞。そして2018年3⽉11⽇から集めていた署名の数は2万3千を超え、2021年2⽉17⽇に岩⼿県条例「東⽇本⼤震災津波を語り継ぐ⽇」が県議会の全会⼀致で可決された。新聞広告で⼈々の⼼を動かし、県⺠の⽇を制定することに成功したキャンペーン。
また、震災10年となる今年は変わりゆく被災地の街並みを⾳楽で残すプロジェクト「岩⼿after 10 years」(https://youtu.be/ORyFw55trWM)が始動。震災前、震災直後、震災10年と、それぞれの街の⾵景に⾳符を置いていくことで、街が奏でる「復興10年の曲」をつくるプロジェクトだ。岩⼿⽇報ではこの年間プロジェクトへの参加者を募集する。釜⽯の曲、陸前⾼⽥の曲、宮古の曲、など、市町村ごとに曲をつくることで、2021年の⾵景をもっと詳細に残したいというねらいだ。
「大切な人を想う日」
特設サイト:https://www.iwate-np.co.jp/content/taisetunahito-omouhi