笠井信輔アナ ガン闘病で生へ思い…妻・茅原ますみ掛けた声は

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 笠井信輔アナウンサー(59)とその妻・茅原ますみアナウンサー(58)が4日、東京・渋谷のユーロライブで映画『愛する人に伝える言葉』(監督:エマニュエル・ベルコ/配給:ハーク/TMC/SDP)トークイベントに登場した。

 フランスを代表する名女優カトリーヌ・ドヌーヴと、本作でセザール賞最優秀主演男優賞を受賞した演技派ブノワ・マジメルの共演。ガンを宣告された主人公とその母親が、限られた時間のなか「人生のデスクの整理」をしながら、穏やかに死と対峙していく過程をエモーショナルに描いている。笠井アナといえば2019年12月に血液ガンの一種にあたる悪性リンパ腫に罹患していることを公表し、以降、4ヶ月半の入院生活を余儀なくされた、ガンサバイバーとして知られており、本作で初の映画予告編のナレーションを担当している。

 まずは笠井アナが1人で登壇。自身の闘病を交えて、作品に込められているリアリティーを紐解いてくことに。「自分がガンになって死に直面して、いろんな思いがあって。私もかなり厳しい状況でガン治療を行いましたので、観ていて非常にしんどかったです。思うことは、なぜ自分は命を帰してもらって、彼な亡くなっていってしまったのかということなんです。そういう思いをされている方の話を聞きますが、自分は治って良かったなと感じています」と、噛みしめるように話す。

 作品内では医師から「頑張れ」との声はかけないようにと厳命があるそうだが、笠井アナ自身としては「私は頑張れと言われたい方で」と、人によってどちらがいいかは、かわるという。

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 続けて、自身の悪性リンパ腫が発見されたときのことへ。最初に排尿障害が起き、2つの病院に行ったそうだが、そのときは前立腺肥大と診断されたという笠井アナ。一向に症状は改善せず、むしろ具合が悪くなっていき、2つの病院からも2ヶ月後に腫瘍内科に行くよう勧められたという。その行った先の検査でガンとは判明したそうだが、悪性リンパ腫と突き止めるまで2ヶ月かかったという。そのときに医師から言われたのが「最初の2つの病院を恨んではいけません。悪性リンパ腫はなかなか分からないので、そういうものです」と、発見の難しい病気であると伝えられたそうだ。

 悪性リンパ腫と診断されるまでの計4ヶ月、妻の茅原アナには内緒にしていたそうだが、「心配かけちゃいけないという思いがあって。ガンとわかって妻に告白して、悔しくて泣いてしまいした。その告知の2ヶ月前ですよ。自分が会社をやめてフリーになってこれからというときに、仕事がいっぱいあったけど、わずか2ヶ月でガンになってしまうということは、収入もなくなりますし」と、不安とともに医師からは「『ステージ4で最悪の状況で遺伝子異常も見つかって、脳に転移しやすいもので、通常の治療法では無理です』と、良い情報が1つもなかったんです。これは死ぬんだろうなと思いました。それでも先生が言ったことで重要なことが1つあって『ステージ4は手遅れという診断ではありません。いまは抗がん剤がとてつもなく開発されています。昔だったら死んでいたかもしれないけれど、笠井さんのガンの種類と抗がん剤が合えば、乗り越えられるから。私もそういう抗がん剤を探しますから、一緒に頑張りましょう』と普段クールな先生が言ってくれて、頑張れる気持ちになりました」。

 「告知の瞬間は、なんで俺が、このタイミングでガンにならなきゃいけないんだ。なんて運の悪い人生だと思いました……ですが、仕方がありません。そしてもう一方で、あなたの生き方は間違っていました、朝の3時に家を出て、夜の9時、10時に帰ってくるような生活に烙印が押されたなと思った瞬間でもありました。でも、そのことに気づいたのは入院してからしばらく経ってからでしたね」と、心情を語った。

 プレゼン中には抗がん剤治療により頭髪、マユ毛が抜け落ちた写真も披露しつつ現在は「地毛なんです。だいたい半年くらいから生え始めて、1年くらいで元に戻りました。人によっては戻りにくい人もいるそうです」と、現状を語る。さらに、闘病中は「一番気遣ったのは倦怠感です。劇薬を体に入れていくんですが、良い細胞も死んでいくんです」と、実感を語った。

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現在は地毛に戻ったという笠井アナ

 一般的には抗がん剤の投与は月間10時間か20時間ほどだそうだが「私の場合は最悪の状態でしたので1ヶ月に120時間投与しました。ここで頑張らなければ、生きたいという思いがありました」という。本作の主人公のように「はじめは諦めようと思いました。ジタバタするのはみっともないと。ですが、日に日に自分の体が弱まったり、夜中に抗がん剤の影響で眠れなかったりすると枕を涙で濡らしたりするんです。そこから生きたいと思うようになったのが現実的でした」。

 さらにコロナ禍でお見舞いも制限されて孤独を味わったという笠井アナ。そこから家族の話題となり妻の茅原アナが「実は泣き虫なんです。けれど、私がガンと告白してから3年間、私のガンに関しては1度も涙を見せませんでした。『頑張ってよ』、『しっかりしてよ』、『乗り越えてよ』と、とにかく私の背中を叩き続けました」としみじみ。笠井アナの息子たちも代わる代わるお見舞いに来たそうだが、「三男が卵焼きを焼いてきてくれたんです。高校生で普段料理なんかしないんです。その卵焼きもいつもと味が違ったんですが『おばあちゃんから習ってきた。こういうときはおふくろの味がいいだろ』と言っていて。普段いいやつなのかどうか分からなくて、ガンになって嬉しくはないけど、悪いことばっかりじゃないということだったんですね」と、家族の絆を強く感じたそうだ。

 後半からは茅原アナも登場。笠井アナがガンを告白したときに、茅原アナの頭には自身の母親のガン闘病の際に「諦めてしまったんです。やっぱり駄目なんだ。ガン=死ぬって。お医者さまが言った通り半年で旅立ちました」という後悔があったそうだが、「笠井が告白したときには『きっと大丈夫』と思ったんです。だから、毎日大丈夫!と言って。私はアナウンサーなので言葉の力、言霊を信じていて、楽しい言葉をかける係だと思って。治療の検索とかは一切しなくて、私は元気を与える係と思っていました」と、気持ちを語った。

 さらに、笠井アナはフリーアナウンサーへ転身した直後のガン発覚だったため、収入面でのことが頭をよぎったそうだが、茅原アナとしては「そこはあまり考えてなかったんです。それはお医者さんとお話していたときに、『何か質問ありますか?』と聞かれたときに、普通は治療の話を聞くと思うんですけど、彼は『いつ復帰できますか?』『いつから仕事できますか?』と、何度も言ってて、この人死なないな、やっぱりって思って。本人も知らないところで生きようとしていたんだなって。気持ちだけでは、なかなか難しいこともあるけれど、気持ちがどこかまで連れて行ってくれることはできると思って」とも。

 話の結びとして、作品に戻り、笠井アナから「作品内の医師は、最後は結婚式に出席するんです。えっ!?ここで行っちゃうの?と思うかもしれないんですが、ここが重要で、寄り添うことは大事ですが、すべての人生を各患者さんに捧げていたらたぶんもたないんです。この物語はメロドラマとして考えたいといってすべての話はフィクションです。ですが、病院のあり方はノンフィクションです。最終カットは看護師さんで、病院にとっても日常なんだと。感動させる音楽で泣かせようとしていないのは監督の1つの結論だと感じました。われわれがいざというときに、対応するということの大事さを教えてくれていると思います」と、感想を寄せていた。

 映画『愛する人に伝える言葉』は7日より上映中。

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