エナジーにあふれている広島県の魅力なスポットを巡る『ひろしま エナジー旅』のメディア向け体験ツアーが10月中旬、広島県内で開催。ツアーの一環で、電動自転車に乗り、広島の街に残る被ばく遺産や平和への復興ストーリーを巡るサイクリングガイドツアー『広島の街に残る被曝遺産を地元ガイドと自転車で巡るピースツアー』体験が行われた。
本サイクリングツアーは株式会社mintが主催している『sokoiko! サイクリングツアー ~ Roots of Hiroshima~』を体験するというもの。『焼失エリア』と呼ばれる焼け野原となってしまった一帯を、戦前・戦中・戦後、そして復興までの道のりといった広島に流れるストーリーを徒歩とサイクリングを交えて巡るというコンセプトで、ガイドブックには載っていない場所も多く巡る。2時間コース、もしくは3時間コースがあり、この日は同社代表取締役の石飛聡司氏のガイドのもと、約12キロの工程となる2時間コース体験となった。
本ツアーでは、原爆ドームの歴史的な紹介はもちろんのこと、一時は取り壊しの声もあった同施設を残したことへの思い。さらに、平和記念公園をデザインした建築家・丹下健三氏の思いをはじめとして、広島を復興へと向かわせた当時の方々の気持ち、街の裏側にある思いにまで、広島大好きのガイドの方々が地元目線でフォーカスを当ててお話してくれることが特徴だ。
石飛氏による説明は、臨場感たっぷり。たとえば広島市平和記念公園レストハウス前にある元安橋の上では、同所周辺はもともと広島の繁華街だったというエピソードを話した後に、空を見上げるようにアナウンスが。言われた空の方向を見ていると、石飛氏が爆撃機のエノラ・ゲイが飛んできた方向を指さし、そして約600メートルのところに原子爆弾が落とされたとのジェスチャーとともに伝え、その瞬間、その場にいるような肌がヒリヒリするような気持ちに。その後も、地図や資料を眺めているだけでは感じられない体験の連続だった。
ちなみに、石飛氏が元安橋のことを間違ってしまった際に、通行人の方が声をあげて訂正してくれることも。石飛氏は赤面していたが、街に生きる方々の雰囲気を体感できる一幕も。
続けて、平和記念公園を設計した建築家・丹下健三氏が込めた思いも解説。映画『ドライブ・マイ・カー』のセリフにも取り入れられた“平和の軸線”と呼ばれるものがある。この“平和の軸線”は、嵐の中の母子像、祈りの泉、広島記念資料館、広島平和都市記念碑、原爆ドームまで一直線で見通せるというもの。そして、後年、原爆ドームの先にグリーンアリーナ、市営基町アパートなどが立ち、戦後の人も『平和の軸線』を意識して建築を進め、今も思いのバトンをつなぎ続けているという。そんな広島にいまも流れているストーリーが解説された。
平和記念公園からは電動自転車に乗って移動。少し走るだけで被爆した“被爆樹”と呼ばれる樹木やモニュメントなど『被爆遺構』(ひばくいこう)がたびたび目に入り、当時の爆風の凄まじさなど感じられることも。
そんな12キロの工程の中では、緑がたびたび目に入る。これにも理由があるという。原爆が落とされた当時、広島には75年間は草木も生えないと言説が流れていたという。そんななか、広島市民らによる植樹運動「供木運動」が起こり、いまの景観につながっているそうだ。
当時の広島復興に懸けた方々の思いを聴いていると、現代にも連綿とつながっている想い。これからを生きていくことへのパワーをもらえるような石飛氏のセリフなど、何か“バトン”を受け取れるようなサイクリングツアーとなった。
■サイクリングガイドツアー『広島の街に残る被曝遺産を地元ガイドと自転車で巡るピースツアー』
https://www.deep-exp.com/ja/hiroshima/activity/313
■ひろしま公式観光サイト『Dive! Hiroshima』
https://dive-hiroshima.com/
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